株式会社石川屋洋紙店の歩み
創業者の吉田助次郎は、石川県能美郡安宅町 (現在の小松市) の出身で、紙商を始める前は金澤製紙(現:加賀製紙株式会社)に勤めておりました。
立山製紙が大正7年4月に創業された時に、吉田助次郎商店として立山製紙の代理店となり、大正9年6月、東京市本所区石原町2丁目(現在地)で「石川屋洋紙店」を創業致しました。
昭和16年12月に開戦した大東亜戦争中の昭和19年3月に、商工省より戦時下の品不足から、全産業の企業整備統合の命令が出され、紙の元売業者も全国数千社を446社に制限されました。
東京地区も220社が60社となりましたが、石川屋洋紙店は存続会社となり城東地区10社を吸収合併して、江東紙業と名称して代表は吉田助次郎がなり終戦を迎えました。